AIに負けるな──イーロン・マスク「Neuralink」の狙いは「人類の能力の拡張」 脳を読み取る「ブレイン・マシン・インタフェース」開発の今

 最近、脳科学とITを組み合わせた技術のニュースを聞くことが増えてきた。考えただけで機械を動かしたり、年齢とともに落ちていく記憶力などを脳に刺激を与えてトレーニングして若い頃の能力を取り戻したりする、SF小説のようなサービスが既に実現間近まで来ているのだ。これらの脳科学を活用したサービスは「ブレインテック」もしくは「ニューロテック」と呼ばれている。ブレインテックのサービス応用範囲は幅広い。

 例えば、文字を打ち込む時を考えてみよう。英語の場合、キーボードでの入力速度は平均して1分間に65~75単語といわれる(タイピングテストサイトLiveChat調べ)。しかし、自分の思考を伝える方法としては直接発声した方が早いことは一般的に知られている。ということは、脳から思考を直接読み取ればもっと早い伝達も可能かもしれない。

 米Facebookは、今までとは異なる入力方法として、考えただけで文字入力ができるシステムの開発を行っている。脳波を読み取ってコンピュータに入力する「ブレイン・マシン・インタフェース」(BMI)と呼ばれる仕組みだ。同社が目標とするのは、1分間100語という高速入力システムで、非侵襲型の脳波センサーによってこれを実現しようとしている。

 FacebookのBMI技術開発を巡っては、2019年にBMI技術を開発していたベンチャー企業CTRL-labs社を買収し、技術開発部門のFacebook Reality Labsに組み込んでいる。また直近では、共同研究を行っているカリフォルニア大学サンフランシスコ校の研究チームが20年3月に、新しい機械学習と組み合わせることで以前より多くの語彙(それまで100語だったところを300語に)を実験に使いながらもエラー率を3%に抑えられた(それまでは60%超のエラー率だった)と発表している。

Facebook Reality Labsが作った「ブレイン・マシン・インタフェース」(BMI)

 米TeslaのCEOであるイーロン・マスク氏は、ブレインテック分野でNeuralinkというベンチャー企業を立ち上げた。頭にチップを埋め込んで脳の信号を読み取ることで、考えただけで機械が動いたり、テレパシーのように言語を用いない意思疎通ができたりするシステムを開発している。20年8月29日に行った開発進捗の発表では、実際に脳に埋め込めるチップを披露して話題を呼んだ。

イーロン・マスク氏が8月29日に発表したNeuralinkの開発状況

 Neuralinkについて最新の内容に触れつつ、マスク氏がブレインテック事業を始めたそもそもの狙いや今後の展望、またこれらのサービスによって何が可能になるのかをひも解いていこう。

AIが人間を追い抜くなら人間の能力も拡張すればいい

 8月の発表では、頭に埋め込むワイヤレスチップ「Link」と、自動手術ロボット「V2」が発表された。Linkは、頭蓋骨に開けられた穴に蓋をするように設置し、患者の体温・血圧・運動状況などをモニタリングする。これにより、脳卒中や心臓発作などの早期警告を提供するという。

頭に埋め込むワイヤレスチップ「Link」

 マスク氏は「この埋め込み型のデバイスによって、ほとんどの人が人生の中で経験する脳の異常、つまりうつ病や睡眠障害などの神経症や認知症、脳の損傷といった多くの症状を将来的に全て解決できる」と述べた。デモンストレーションでは人ではなく豚の頭に埋め込んだデバイスが披露されたが、同社は既に米国食品医薬品局(FDA)と協力して人を対象とした将来的な臨床試験の準備に取り組んでいる。

 こうして聞くと脳の医療に関する課題を解決することがゴールのように思えるが、それは一つの側面でしかないようだ。イーロン・マスク氏がブレインテック事業に取り組む大きな理由の一つは、人間の能力の拡張にあると筆者は考える。

AIについて以前から危険性を警告

 マスク氏は以前からシンギュラリティ(技術的特異点)がはらむ危険性について警告していた。シンギュラリティとは、近未来に訪れるとされる、AIが自ら人間より賢い知能を生み出すことが可能になる瞬間のことだ。

 同氏はニューヨーク・タイムズのインタビューで、早ければ2025年にはAIが人間を追い抜く可能性を示唆し、その前にAIのセーフティ機能について理解する必要があると主張している。

 また彼は、オープンソースで親和性が高いAIを、人類全体に有益な形で注意深く開発を推進することを掲げている非営利団体「OpenAI」の設立者の一人でもある。

 AIの能力が人類を超えることを警告するだけではなく、それならば人類の能力も拡張すればいい、という発想がNeuralinkのブレインテック事業の根底にある。このことは、イベントで発信されたメッセージにも表れていた。

 Linkは、コンピュータやモバイルデバイスを脳で直接制御できるように、重度の脊髄損傷を持つ人々を支援することが「最初の応用」であるという。将来的には健康な人も気軽に利用できる、非医療分野のアプリケーションへの応用も見据えているとしている。

 人間の失われた能力を補完するだけにとどめるのか、あるいは人間の能力を超えるほど拡張するのがいいのかという話は、「トランスヒューマニズム」の分野でしばしば議論されるが、本質的には同じことだ。

 例えば事故で右手を失った人に義肢をつけるのは補完で、2本ある腕に追加で3本目のロボットアームをつけるのは拡張だ。では、失われた右手に対し本来の腕より優秀なロボット義肢をつけるのは補完なのか拡張なのか。答えはどちらでもあるといえる。能力の補完と拡張は定義の問題で、LINKについても人間の能力の補完ができるなら、能力の拡張にも利用できることは間違いない。

医療からスタートする理由

 最終的な目的が人間の能力の拡張にあるとしも、いきなりそこを目的としたサービスを展開するわけにはいかない。頭にチップを埋め込む行為そのものに強く拒否感を持つ人も多いだろう。

 そのため、まずは外科手術を行って頭にチップを埋め込んででも解決したいような重い課題を抱える人がいる、医療方面から取り組んでいるようだ。実際に、身体に刺激を与える装置を埋め込むという治療方法は、例えば難治てんかんに対する補助療法として既に行われている。

 さらに、世界の人口の6人に1人は脳に関連する病気を抱えているといわれる。脳に関する病気は情報化社会、高齢社会が進むにつれて最も大きな社会問題となりつつあるといっても過言ではない。

 Linkは将来的に健康な人も手軽に受けられるサービスとなるとしている。具体的には、数千ドル程度の費用で、レーシック手術のように部分麻酔で埋め込みの手術を受け、日帰りできる形を目指すという。スムーズな社会実装のためには、この手術がいかに気軽かつ安全に受けられるかが大きな焦点になる。自動手術ロボットV2はその実現のための目玉として発表された。

自動手術ロボット「V2」

Neuralink以外のBMI企業の動きは

 Neuralink以外にもBMIに取り組んでいる企業はある。Neuralinkと同等かそれ以上に先行している例をいくつか取り上げたい。

 米Paradromicsは、米国防高等研究計画局(DARPA)から1800万ドルを超える投資を受けているBMI企業だ。同社は脳に安全かつ容易にチップを埋め込むためのレーザー手術ツールを開発。Neuralinkの発表の直後となる8月31日に、その技術のデモンストレーションを行った。ここで埋め込むチップは、低消費電力で高データレートの送受信が可能なものだ。

米国防高等研究計画局(DARPA)から1800万ドルを超える投資を受ける米Paradromics

 アメリカの億万長者ブライアン・ジョンソン氏が立ち上げた米Kernelにも注目したい。当初はNeuralinkなどと同様に埋め込み型のBMIシステムの開発を計画していたが、頭にチップを外科的に埋め込みたい人がどれだけいるかに疑問を持ち、現在は取り外し可能なヘルメットの開発を行っている。脳の電磁活動を計測する「Flux」というシステムと、脳の血流を計測する「Flow」という2つのシステムを「NaaS」(Neuroscience as a Service、サービスとしての神経科学)として提供している。

 米OpenwaterもKernelと同様に、頭蓋骨に穴を開けずに脳活動を計測しようと考えているようだ。赤外線と超音波を使い、脳だけでなく骨や腫瘍など身体の内部を計測する技術を開発している。

 

「言語からテレパシーに」「AIと脳を接続」 ブレインテックの10年後を予想する

 少なくとも10年ほどは未来のことと思われるが、ブレインテック技術が広がり脳を手軽に読み取れるようになったら、何ができるようになり、世界はどうなるのか。どうしてもSFっぽくなるが大胆に予想してみよう。

コミュニケーションは言語からテレパシーに

 埋め込まれたチップは、脳内信号をリアルタイムで読み取りワイヤレスで外部に送るだけでなく、逆に脳に刺激を与えて書き込むこともできる。そうなると、考えただけで機械が動くだけでなく、ある人から読み取った情報を別の人に書き込むことでテレパシーも可能になるだろう。

 現在のコミュニケーションは考えたことを言語にコーディングし、音声や文字で相手に伝え、受け取った人はそれをデコーディングして理解する。このコーディングは決して効率の良いものではなく、抜け落ちる情報もあるため、誤解がしばしば発生する。

 使用言語が違うと、受け取ってもデコーディングできず理解できない。テレパシーも最初は言語を利用するだろうが、将来的には考えているイメージを言語を使わずそのまま伝えることができるようになる可能性がある。実際に、最近ヘルシンキ大学が脳波からAIを用いて人間の脳をモデル化し、思い通りの画像を自動的に作成する技術の論文を発表している。

BMIでAIと脳を接続? 記憶を外部サーバにバックアップする未来

 AIが人間の能力を超えるというマスク氏の懸念も、埋め込みチップを介して脳と外部のAIを接続し、例えば計算能力や予測能力などをAIによって補うことで解決できるかもしれない。

 脳は年齢とともに記憶能力などが低下していくことが知られているが、それも適切にモニタリングして刺激を与えることで能力を維持し、さらに改善できる可能性がある。既に初期アルツハイマー病モデルマウスの脳神経を刺激して、失われた記憶を取り戻すことに成功した日本の研究があり、他にも脳の神経に刺激を与えて活性化させることで、記憶力を平均15%向上させた研究もある。そもそも失いたくない記憶は埋め込みチップを通じ、外部サーバにバックアップしておくというのも技術的には可能だろう。

 もちろん、このような未来にプライバシーはどうなるのかといった厄介な問題はついて回る。一部の人だけがこれらの技術を手に入れた場合の危険性なども議論するべきであり、慎重な社会実装が求められる。しかし、ブレインテック技術が世に出回った時の影響が非常に大きいことは間違いない。

 米コロンビア大学の神経生物学者であるラファエル・ユステ教授は、社会を変革したコンピューティングの大きな進歩として「メインフレームコンピュータからパーソナルコンピュータへの移行」と「スマートフォンなどモバイルコンピューティングの出現」の2つを挙げているが、外科的な手術を必要としない非侵襲的な脳を読み取る技術は、3番目の変革をもたらすだろうと述べている。大きな可能性を持つブレインテックから目が離せない。

#AI #ブレイン・マシン・インタフェース
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